ちょくちょく、世間的な知名度は高くなかったとしても、確かな足跡を残したJリーガーについて紹介する「元Jリーガーの記憶」。
今回は、Jリーグ参入当初のヴィッセル神戸と、
2000年代前半のアビスパ福岡で活躍したストライカー、江口倫司選手です。
<経歴>
関西学院高等部
ヴィッセル神戸
アビスパ福岡
<ポジション>
ストライカー
(攻撃的MF)
<年度別出場試合数>
ヴィッセル神戸のJ昇格初年度である1997年に、苦しむチームを救った現役大学生(関西学院大学)Jリーガー。
1998年・1999年は得点から遠ざかるものの、
ピッコリ監督が自ら獲得に乗り出し、2000年にアビスパ福岡へ移籍します。
2001年には残留争いのクライマックスの時期に活躍しますが、クラブは残念ながら降格してしまいます。
翌2002年はJ2でエースとして活躍し、アレン選手とともにチーム内得点王になります。
呂比須ワグナー選手のラストゲームとなった天皇杯で、アクロバチックなビューティフルボレーを決めたのが印象に残っています。
得点感覚に優れたストライカーで、
182cmの身長を活かしたヘディングやポストプレーをすることもできれば、
衛星のように動き回るプレーもできました。
前線からの果敢なプレスでも貢献しました。
『一芸タイプ』というよりはバランスのとれた選手のためか、
シーズン中盤から後半にかけて出番をつかみ、活躍するケースが多かったように思います。
開幕からFWの軸に据えてフル稼動するシーズンももっと見たかったです。
26歳の若さで引退を決めた理由はわかりません。ただ、J2クラブが大幅に増え、J3まで拡大した今のJリーグであれば、本人が望みさえすればまだまだ活躍できた選手だと思います。