<経歴>
越生高
国士舘大学
清水エスパルス(1995~1999)
ジュビロ磐田(1999~2000)
横浜Fマリノス(2000途中)
大宮アルディージャ(2001・J2)
ガンバ大阪(2002)
ベガルタ仙台(2002途中)
大宮アルディージャ(2003・J2)
京都サンガ(2003途中)
大宮アルディージャ(2004・J2、2005)
<ポジション>
右サイドバック、ウイングバック、サイドハーフ
<日本代表>
1試合0得点
(1999年コパ・アメリカ パラグアイ戦)
<年度別出場試合数>
システムによって、右サイドバック、右ウイングバック、右サイドハーフ、とポジションは変わりますが、
右サイドを主戦場とする選手で、抜群のスタミナを活かして、ひょうひょうとアップダウンを繰り返します。
長友選手のような『ガツガツ』という感じとは違い、スルスルっという感じで攻め上がってきます。
そして、とにかくクロスが正確で、バリエーションも豊富でした。
個人的に印象深いのは、1998年1stステージ最終戦のアビスパ福岡戦での先制アシストです。
チームが尻上がりに調子を上げ、優勝の可能性がある中での試合だったのですが、
この試合で均衡を破ったのは、安藤選手のセンタリングでした。
ボールをすくうように上げたクロスがファーサイドの長谷川健太選手にどんぴしゃで合ったものでした。
意表を突かれた相手選手の動きが止まってしまったのをよく覚えています。
また、静岡県のライバルチームであるジュビロ磐田に移籍して迎えたチャンピオンシップ第1戦では、
中山雅史選手の先制点をアシストしています。
中山選手のダイビングヘッドも見事でしたが、右足のアウトサイドで合わせたアーリークロスは芸術的ですらありました。
特に1997年~1999年のシーズンでは、安藤選手のクロスから多くの得点が生まれました。
しかも、貴重なゴールを呼び込むものが多くありました。
1998年に当時ユースだった市川大祐選手が日本代表に抜擢されて話題を呼びましたが、
右サイドの不動のレギュラーは安藤選手でしたし、
その市川選手を左サイドに回すほど、右サイドにおける安藤選手の信頼は高いものでした。
トルシエ監督時代1999年には日本代表にも選出され、
コパアメリカのパラグアイ戦では代表キャップも記録しています。
大宮アルディージャでは、右サイドハーフとしてより攻撃的な役割を担うことが多く、
チームの顔と呼べる選手になっていました。
悲願のJ1昇格を果たした2004年シーズンは、クロスだけでなくプレースキックからもチャンスを演出しました。
右サイドのスペシャリストとして、
残留争いをしていたり、右サイドの人材難に苦しむチームのピンポイントな補強として白羽の矢が立つことが多く、
結果的に7つのクラブでプレーしました。
決して派手な選手ではありませんが、武器を持った好選手だったと思います。